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なぜ、いまアナログなのか。― 野沢温泉の猿田彦の舞と、Sunset films の新しいホームページ

なぜ、いまアナログなのか。― 野沢温泉の猿田彦の舞と、Sunset films の新しいホームページ

群馬・高崎のクリエイティブ会社 Sunset films の代表 井埜涼太が、野沢温泉の猿田彦の舞(湯澤神社例祭・燈籠祭り)で感じた「繋ぐ」ということと、新しいホームページを古いテレビと砂嵐で作った理由について書きます。

野沢温泉の猿田彦の舞で見た、「続く」ということ

この間、野沢温泉の猿田彦様のお祭りに行った。尊敬する経営者の方に連れて行ってもらった。毎年9月8日と9日の湯澤神社の例祭、燈籠祭りと呼ばれるお祭りで、江戸の頃から続いているらしい。

赤い天狗の面をつけた猿田彦が、手刀、剣、刀、そして松明を、かわるがわる持ち替えて舞う。神様が降りてくる道を先導して、村に入り込む病や災いを断ち切り、燃やし尽くす。そういう舞だと聞いた。舞っているのは、村の20代、30代の若い世代だという。

野沢温泉村は、人口でいえば本当に「村」だ。なのに、あの夜の通りにはすごく人がいた。海外の人もたくさんいて、まわりはみんな英語で話している。何百年も前から同じ場所で続いてきた神事の中に、世界中の人が立っている。神事だから、神様も喜んでいる。そう感じた。あの空気は、言葉にはできない。

野沢温泉のお祭り。松明を手に舞う猿田彦と、取り囲む人たち
通りを埋める人たちの真ん中で、松明が回る。

帰り道に考えていたのは、なぜあの村にあれだけの人がいるのか、ということだった。答えは単純で、続いてきたからだ。誰かが受け取って、少し足して、次の年に渡す。松明を持つ手が、若い世代に渡っている。それを何百年も繋いできたから、いま、あそこに人がいる。「繋ぐ」という言葉が、頭に残った。

新しいホームページが、古いテレビと砂嵐で始まる理由

野沢から帰った翌日、前から決めていた会社のサイトの作り直しに手をつけた。お祭りを見て思いついたわけではない。ただ、できあがったものを見ると、開くと古いテレビが映って、チャンネルを回すと砂嵐が走って、後ろでは8ビットの街が流れる。新しくしたのに、古く見える。普通に考えたら逆で、もっと今っぽく、速く、分かりやすく作れたはずだ。

なんでこんなアナログなことをしたのか。書きながら整理してみる。

いま、AIの波が来ている。うちでも、インタラクティブのシステム開発やウェブのコーディングでは、補助的にAIを使うのが当たり前になった。企画と文章は、いまも自分たちの頭と手で書いている。このサイトも、仕組みの部分はAIの手を借りながら、ほぼ1人で、自分の手で作った。自分の会社のサイトだから、AIと2人で頑張れたのだと思う。テレビに流れる映像だけは、林くんに集めてもらった。便利で速くて、正直、もう戻れない。そういう時代になった時に、逆にアナログ的な方へ行きたくなった。

もちろん、完全には行き切れない。このサイトのテレビだって本物じゃない。画面の中の、仮想のテレビだ。それも分かっていて作っている。本物に戻れないと分かった上で、テレビのつまみをひねる音や、砂嵐の一瞬や、80年代から90年代のあの色を、いまの道具で、もう一度手元に置きたかった。

38歳になった。今の高校生の顔が、みんな一緒に見えてきた。だからこそ、なんとなく昔に戻りたかったのかもしれない。自分が一番ワクワクしていた頃の、テレビとゲームと音楽の手触りに。

普通のサイトにはしたくなかった。ただし、SEOとAEOは周到に

きれいな写真が並んで、事業紹介があって、お問い合わせフォームがある。それだけなら、いまは誰でも1日で作れる。だから、開いた瞬間に「なんだこれ」と思ってもらえるものにした。テレビも、砂嵐も、8ビットの街も、テレビを消した時に出てくる「ひとこと」も、全部そのためにある。

ただし、遊びだけで作ったわけではない。SEOとAEO、つまり検索とAIにどう見つけてもらうかの設計は、めちゃくちゃ準備周到にやった。ページごとに、どの言葉で探される場所か、最初の一文で何を答えるか、AIに聞かれた時に何を返すか。見た目は昔で、中身は今。そこは譲らなかった。野沢のお祭りだって、続いているのは昔のままだからではなく、その時代ごとに受け取り直してきたからだと思う。

繋ぐ側に、いたい。群馬のクリエイティブ会社として

これから先、うちみたいな地方の小さなクリエイティブの会社が生き残るのは、すごく大変だと思っている。AIで「それっぽいもの」は誰でも作れるようになった。1回きりで盛り上がるものも、お金とAIで作れる。でも、何十年、何百年と人が集まり続けるものは、そういう作り方では生まれない。

野沢に連れて行ってくれた経営者の方が、こう言っていた。

色々な事に興味を持つ事が、経営者としては今後も必要なスキルかと思っています。俺には関係ないとか、事業領域外とか決めない事が、自身の成長に繋がると信じています。

本当にそうだと思う。村のお祭りも、古いテレビも、ポッドキャストも、自分の事業領域かと聞かれたら、たぶん違う。でも「関係ない」と決めた瞬間に、繋がるはずだったものが切れる。あの夜に立っていなければ、この文章は書けなかった。

正直に言うと、自分は前に出るのが嫌だった。それでも、練習だと思って始めてみることにした。未来の Sunset films の人たちが「井埜はこう考えていたのか」と分かる手助けになるかもしれないし、読んで共感して、この会社に入ってきてくれる人がいるかもしれない。そのために、このジャーナルは、文章だけでなく音声も置ける作りにしてある。ポッドキャストのように、話したことをそのまま音源で置いてみたり、それを記事にしてみたりする。きれいに整えた文章より、いま考えていることを、生々しいまま。

サイトの方は検索とAIのために周到に組んだと書いたけれど、このジャーナルは、全然SEOを意識していない。と言いたいところだけれど、見出しと骨組みだけは、検索とAIに見つかるように組んである。書く中身は、見たい人が見ればいい、という精神で。会社のサイトの中に、そういう場所が一つくらいあってもいいと思う。

地域の仕事をする時は、新しいものを次々に出す側ではなく、前からあるものを受け取って、少し足して、次に渡す「繋ぐ側」にいたい。

実際、安中市の廃線でも同じことをしている。1997年に列車が走らなくなった横川―軽井沢の線路を、地元の人や観光機構の方々と歩けるようにして、走っていた頃を知る人の言葉を映像に残している。そのあたりは『事業構想』の取材で話したことと、その後のことに書いた。

まとまらないけれど、泥臭くやっていく。あの夜の、言葉にできない空気を、忘れないでいたい。このサイトは、その記録になればいいと思っている。

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