あの取材で話したことは、夢物語だったのか ― 『事業構想』のあとに起きたこと

群馬・高崎のクリエイティブ会社 Sunset films 代表 井埜涼太が、月刊『事業構想』2025年3月号(PROJECT DESIGN/群馬県 Project Nippon)で話した「これからやること」が、1年半でどうなったのかを検証します。The Japan Times 掲載、JR東日本 地域共創アワード 最優秀賞、BLOOMING LIGHT・HARMONY OF LIGHT・NATURE IN BLUE の実現まで。会社の名前も、安中市の廃線も、共通しているのは「繋ぐ」ということでした。28歳で組んだバンドの名前が社名になった経緯、安中市の廃線ウォークを映像でブラッシュアップした話、光と音のナイトウォーク MELODIC LIGHT WALK が The Japan Times と JR東日本 地域共創アワードで評価されるまで、そしてその後に生まれた BLOOMING LIGHT・HARMONY OF LIGHT・NATURE IN BLUE のこと。
去年、月刊『事業構想』の取材を受けた。2025年3月号の群馬県の特集で、見開き2ページ。「音や映像を駆使して地域や企業のブランド価値創出」という見出しが付いた。
取材でああいう話をするのは、正直こわい。そのときはまだ形になっていないことも「やります」と言ってしまうからだ。雑誌に載った時点では、ただの夢物語かもしれない。だからこの記事は、あのとき話したことが実際どうなったのかを、自分で答え合わせしてみる。

28歳で組んだバンドが、会社の名前になっている
取材は原点の話から始まった。高校時代のバンド活動のこと。インディーズでデビューしたけれど思うような反応が得られず、20歳で看護師の道に進んだこと。20代の後半にパソコンで楽曲制作を再開し、28歳で新しいバンドを組んだこと。そのバンドの名前が Sunset films だった。
バンドが Sunset films で、その裏方のクリエイティブチームを BlackTree innovation と名乗っていた。演奏する側と、作る側。両方を自分たちでやっていた。
そのバンドで作ったミュージックビデオが、これ。撮影も編集も自分たちでやっている。会社の名前の出どころは、ここにある。
いま思えば、自分が最初に繋いだのは、自分たちの名前だった。鳴らしていた頃の名前を、会社が受け取って、いまも呼ばれている。
再開した音楽活動は、SNSでの発信だけで広げていった。無名のまま出した初ライブに、300人近くが集まった。その感触から「自分が演者として表に出るより、クリエイターを支えて作品の質を高めたい」と考えるようになり、2019年にアーティストのミュージックビデオを作るチームを始めた。2020年には BlackTree innovation の名前のまま、個人事業としてスタートした。
そうしたら、思ったより軌道に乗ってしまった。法人にする段になって名前をどうするか考えたとき、「バンド名でもいいか」ということになり、2021年に株式会社Sunset films になった。裏方の名前ではなく、表に立っていた方の名前が、会社として残った。
法人化を機に、事業の軸を映像制作からブランディングへ移した。映像・写真に、Web、デザイン、新規事業や商品開発のプロダクト戦略までを足していった。2022年11月には、群馬県内外の良質な商品と当社が携わった商品を集めたセレクトショップ「むすびて」を高崎市に開いた。音楽レーベルも続けている。
廃線を歩くツアーを、映像でブラッシュアップする
2020年から参画しているのが、安中市観光機構が主催する「廃線ウォーク」だ。横川と軽井沢をつないでいた、いまは廃線となった線路を歩く体験ツアーのこと。
観光機構の上原将太氏から「アピール方法を洗練させたい」と相談されたのが始まりだった。当社が提案したのは、トンネルの中で昔の映像や運転手へのインタビュー映像を見せること。鉄道が走っていた当時の様子を、その場で想像しやすくなるからだ。ツアー全体の導線や演出のブラッシュアップも一緒に考えた。約30分の廃線ドキュメンタリー映像を作り、QRコードを参加者に配って、ツアーを追体験できるようにもした。
結果は数字に出た。当社が入る前の2018年は年6回・参加460名。2024年は45回・1241人になった。2023年には文化庁のスポーツ文化ツーリズムアワードで文化ツーリズム賞をいただき、名実ともに地域を代表するコンテンツになった。
昼のコアな層から、夜のライトな層へ
昼の廃線ウォークに来る人は、どちらかといえば鉄道に詳しいコアな層が中心だった。もう少しライトな層にも興味を持ってもらうために、昼のルートを簡易にして夜に歩くツアーとして企画したのが、Ignition SERIES の第1弾「MELODIC LIGHT WALK」で、2024年3月に始まった。
参加者はランタンと「メロディックライト」を手に、暗い廃線を進んでいく。トンネルの中や道中にはプロジェクションマッピングが展開され、特定のポイントでライトを当てると、光の演出とメロディが流れる。ツアーの最後には、それぞれのメロディが1つの音楽になって完成する。物語には、この線路を走っていた電気機関車 EF63 と ED42 をモチーフにしたキャラクターが登場する。
参加者アンケートでは「また来場したい」が90%に達した。ナイトツアーが廃線ウォーク全体のユーザー層を広げていることも、数字で見えた。
The Japan Times と、JR東日本のアワード
MELODIC LIGHT WALK は、英字新聞 The Japan Times に特集で取り上げられた。歴史的な価値を保存するだけでなく、体験として人に届け直す取り組みとして紹介された。同じ年、JR東日本が主催する地域共創アワードで最優秀賞を受賞した。鉄道遺産の新しい活用、観光資源としての再価値化、夜の時間帯の経済への貢献が評価された点だと聞いている。
海外の媒体と国内のアワード、両方から評価をもらえたことで、廃線という「過去」を観光の価値に変える、という考え方が独りよがりではなかったと確かめられた。掲載のお知らせはこちらに置いてある。
答え合わせ:あのとき話した「予定」は、どうなったか
取材の時点では「BLOOMING LIGHT は近日中に安中市の秋間梅林で始まる予定」と話していた。位置情報と連動して、ランタンに搭載された映像が切り替わるインタラクティブなコンテンツになる、と。
結論から書くと、実現した。BLOOMING LIGHT は秋間梅林で実際に走り出し、ぐんまフラワーパークの HARMONY OF LIGHT も始まった。2026年8月には、四万温泉で NATURE IN BLUE が始まった。2026年には、MELODIC LIGHT WALK を題材にした安中市の広報映像が、全国広報コンクール 映像部門で BSよしもと賞、群馬県広報コンクール 映像部門で第一席(最優秀賞)をいただいた。記事に「予定」と書かれていたことが、いくつか現実になった1年半だった。
上原さんと一緒に作ってきた、ということ
ここまで数字と賞の話を書いたけれど、自分たちの中でいちばん大きいのは、安中市観光機構の上原将太さんと一緒に作り上げてきた、ということだ。全然違う話だけれど、下積み時代を共にした仲間みたいな感覚がある。恐れ多いけれど。
上原さんのおじいさんは、実際にこの横川の国鉄マンだった。その話を一緒に聞けたのも、すごく良かった。上原さんの人生の一部に関われていることが、ありがたい。
繋いでいくということ。それが自分にはとても合っている気がするし、つなぐ想いというのは、その土地をより強くしていくのかもしれない。そういうところを、これからも大切にしていきたいと改めて思っている。
この感覚は、野沢温泉の猿田彦の舞を見た話と、自分の中では完全につながっている。江戸の頃から続く神事を、いまは村の20代・30代が松明を持って舞っている。横川の廃線も同じで、走っていた頃を知る人の言葉を受け取って、歩ける状態に手を入れて、次の年に渡していく。歴史を繋ぐというのは、たぶんどこでも同じ形をしている。
新しいドキュメンタリーができました
廃線ウォークの新しいドキュメンタリー映像「横川のまちに汽笛は鳴り止まない(YOKOKAWA WHISTLE TOWN)」が公開されました。過去に撮りためた映像を活用し、ナレーションは上原さんご本人。すごくいい仕上がりになったと思う。ぜひ見てほしい。

1997年9月30日、信越本線 横川―軽井沢間を走る列車の歴史が終わった。1893年の開通から100年以上、人や物を運び、碓氷峠を越えてきた鉄道。その線路を歩く「廃線ウォーク」が始まったのは2018年10月のことだ。
ただ、歩けることは当たり前ではない。翌2019年10月の台風19号で下り線9号トンネルの周辺が被害を受け、いまも復旧できていない場所がある。2024年8月には別の箇所で土砂崩れも起きた。災害を経験するたびに、この場所を残していくことの難しさを知る。壊れてから直すのではなく、未然に防ぐための活動が必要だと考えている。下り線9号トンネルの修繕も、諦めていない。
廃線ウォークサポーターとともに線路に手を入れ、歩き、話し、伝える。何度も歩くうちに、廃線ウォークは日常になっていった。でも、そうじゃない。あたりまえじゃない。季節が変わり、風の冷たさが変わり、トンネルの先の景色が変わる。
かつて列車を運転した人、駅で働いた人、このまちで鉄道とともに暮らした人。それぞれの言葉から峠の鉄道をたどると、そこに残っているのは線路だけではないと分かる。人の暮らし、旅の思い出、鉄道とともに過ごした時間。
峠の鉄道の歴史は、人の歴史だった。

この映像の実績ページは「横川のまちに汽笛は鳴り止まない」機関士たちの記憶と記録に置いてあります。
また一緒に、上原さんと作り上げていきたい。
いまも変わっていないこと
取材の最後に、こんなことを話していた。
行政と民間が協働して新たな価値を創出するには、最終ゴールを明確にし、全員が同じ場所へ向かうことが不可欠だ。
読み返しても、ここは変わっていない。地域の仕事は、誰か一人が旗を振っても続かない。自治体、観光機構、地元の事業者、そして作る側の自分たちが同じ絵を見ているかどうかで、最初の1年より2年目以降に差が出る。
記事のなかで一番うれしかったのは、安中市や観光機構との仕事について「お互いがリスペクトし合っていることが根底にあった」と話せたことだ。その関係が、いまも続いている。数字も賞も、その結果でしかない。
こうして書き出してみると、全部が同じ一本の線の上にある。バンドの名前を会社が受け取り、走らなくなった線路を歩ける形にして次の年へ渡し、運転していた人の言葉を映像に残して、まだ生まれていない人に届ける。野沢温泉の猿田彦の舞で見たのも、同じことだった。
新しいものを作る会社だと思われがちだけれど、やっていることはたぶん逆で、誰かが残したものを受け取って、少し足して、次に渡しているだけだ。名前も、線路も、記憶も。その繋ぎ方が上手い会社でありたい。
Ignition SERIES の実績はMELODIC LIGHT WALK のページに、事業の内容はBusiness に置いてあります。