ファーストインパクトって、大切なんだよな。って話し。

ものを作る仕事をしているから、少し、ファーストインパクトの話をしようと思う。最初の一口がいちばん美味しいのはなぜか、というところから考えてみた。
二口目は一口目に勝てない
この間、初めて熱海に行った。そこで食べたマグロの赤身丼が、最高に美味かった。
皆さんも体験したことはないだろうか。最初の一口の美味しさに胸が躍って、「もう一口」と箸をのばす。二口目も美味しい。でも、最初の一口目の美味しさを超えることはできない。
あれは何なんだろうか。人はなぜそう感じるのだろうか。少し考えてみた。
一口目が特別な理由
調べてみると、理由があるらしい。
食べ進めるうちに、舌がその味に慣れていく。同じ物ばかり食べていると、その物だけ美味しく感じにくくなるそうだ。お腹いっぱいでもデザートなら入る、あの別腹も同じ仕組みで、気のせいではなかった。
それに、一口目は「どんな味だろう」とワクワクしながら食べている。二口目からは、もう味を知っている。結末を知っている映画を、もう一回見ているようなものだ。
最初の一口は、一回きりの味ということになる。
最初の感覚を圧倒的に信じている
一口目の美味しさと、ファーストインパクトって似てるなと思う。
自分は何かを作る時、ファーストインパクト、初めの感覚を絶対に核にしていて、それを圧倒的に信じている。正直、自分でもびっくりするくらい敏感だし、的を射ている。今までも、何か行き詰まってしまった時は、絶対に原点のその感覚に立ち返って軌道修正することが多々ある。
なぜそこまで信じられるのか。最初に感じたことには、今まで経験してきたことが全部入っているからだ。楽しい、嬉しい、悲しい、嫌だという気持ちが全部合わさって、その場の空気をどう感じるかが一瞬で決まる。人は最初の数秒で、思っている以上に多くのことを受け取っている、という研究もあるらしい。
初めての熱海で見た吉田博の言葉
初めての熱海では、MOA美術館で「生誕150年 吉田博展」も見た。

吉田博は明治から昭和の風景画家だ。あの当時に何日もかけて海外へ行き、途中からは版画の技術で色彩まで再現するようになった。その吉田博の、こんな言葉が展示されていた。
最初にぶつかった好いところはきっと描いて好い絵となる。一番大切なのは感興であって、一度来た清新な感興はそう幾度も繰り返されるものでない。
『中央美術』第二巻第二号「美術講話 風景写生に就て」(大正5年)より

感興(かんきょう)は、物事にふれて心が動くこと。そんなものすごい人でも、その一瞬を大切にしているのが分かって、とても良かった。
ファーストインパクトって、なんか言葉にできない。心というより、脳の奥の、感覚とはまた違う何か無の部分が刺激されているんだろうな。これも言葉になっていないけれど、あの吉田博でもそう感じていたんだから、そういうものなんだと思う。
机上の空論より、その場所で感じたこと
会社を立ち上げた2020年から2021年ごろは、毎日えげつないぐらいマーケティングを教わっていた。教えてくれたのは、広告会社の人、アウディの広告をやっている人、大手の代理店の人たちだ。「人の感覚を信じてはいけない」とも言われたし、決まった型もあった。
でも結局、その型はほとんど使っていない。考えを形に落とし込む時には使う。ただ、決められた型どおりにやっても、そんなに効果はないなと思った。教えてくれた皆さん、すみません。
型より頼りにしているのは、その場所で感じたことだ。いま動いている企画も、まだ中身は言えないけれど、自分で足を運んで歩き回った。最初に「なんかここいいな」と感じた所があって、そこからアイデアが膨らんでいった。
机上の空論という言葉があるけれど、机の上で考えるより、その場所で感じたファーストインパクトから膨らませた方が、案外いい方向性やアイデアにつながるんじゃないかと思う。
こう書くと、感覚だけで突き進んでいるように見えるかもしれない。でも、ちゃんと数字もしっかり見ている。ただ、数字は答え合わせに近い部分もある。本当はダメなんだろうけど。それでも、最初に「こうじゃないか」と感じたことと数字は、これまでだいたい一緒だった。
新幹線で飲んだ一口目
そんなこんなで、東京に向かう新幹線でこれを書いている。
手元には、初めて飲むスタバの群馬限定フラペチーノ。最初の一口目が、美味かったかもな。