自分なりに「センス」を分解してみた。

クリエイティブの会社をやっているから、少し、センスの話をしようと思う。自分の中にある「センス」というものを、一度分解してみたい。
センスって、なんなんだろう
「センスいいですね」と言ってもらえることがある。
ただ、自分自身は、そう言われても特別嬉しいという感じでもない。クリエイティブの仕事をしているから、そう見える部分もあると思っている。
そもそも、センスって、なんなんだろう。
よく使う言葉だけど、考えてみるとかなり曖昧だ。
生まれつきなのか。育った環境なのか。経験なのか。知識なのか。技術なのか。
自分はもともと看護師だ。最終学歴は前橋高等看護学校。美大を出たわけでもないし、デザインや映像を専門的に学んだわけでもない。
それでも2021年にクリエイティブの会社を始めて、気づけば6期目になった。
じゃあ自分には、もともと「センス」があったのか。
たぶん、そんな単純な話ではないと思う。
「なんか」の正体を探す癖
この間、ファーストインパクトについて記事を書いた。
そこで書いたのは、何かを見た瞬間に感じる「なんかいい」「なんとなく好き」という感覚についてだった。
理由を聞かれても、うまく言葉にできない。でも、その感覚は、本当に何もないところから生まれているんだろうか。
自分でも忘れている経験や記憶まで含めて、今まで生きてきたものが、一瞬で答えを出しているのかもしれない。
自分には昔から一つ癖がある。
なんで今、自分はこう感じたんだろう。
なんでこれを「いい」と思ったんだろう。
逆に、なんでこれは嫌なんだろう。
そんなことをずっと考えている。というより、息をするように考えているのかもしれない。
「なんかいい」で終わらせず、その「なんか」の正体を探す。
色なのか。余白なのか。言葉なのか。音なのか。匂いなのか。その場の空気なのか。

それとも、昔の何かと無意識につながっているのか。
直感とセンスは、少し違う
直感は、「こっちがいい」「これは違う」と一瞬で出てくる答え。
一方でセンスは、その答えを生み出している、もっと広いものなんじゃないかと思う。
じゃあ、センスをつくっているものは何なのか。自分なりに分解すると、今のところ6つある。
センスをつくっている、6つの力
見る力。
人が通り過ぎるものにも目を向ける。
感じる力。
小さな感動や違和感を拾う。
考える力。
なぜそう感じたのかを考える。
面白がる力。
知らないものを「分からない」で閉じず、もう一歩入っていく。
つなげる力。
一見関係のない経験と経験を、自分の中で結びつける。
表現する力。
自分の中にあるものを、誰かに伝わる形にする。
見て、感じて、考えて、面白がって、つなげて、表現する。
この積み重ねが、その人なりの「センス」なんじゃないかと思う。
歌川国芳を見ていると
自分は昔から、歌川国芳が好きだ。
武者絵だけではなく、猫を人間のように描いたり、人の身体を組み合わせて一つの顔にしたり、西洋の表現まで取り入れている。

身の回りにあるものも、新しく入ってきたものも、面白がって、つなげて、表現する。
国芳を見ていると、センスって、こういうことなんじゃないかと思う。
いちばん大事なのは、面白がる力
この6つの中でも、自分が特に大事だと思っているのが、面白がる力だ。
楽しいことは、放っておいても考える。もっと知りたくなる。もっと試したくなる。
だから結果として、技術もついてくる。
技術とセンスも、同じものではない。
技術は「どうやってつくるか」を可能にする。センスは「何をつくるか」「何を選ぶか」に現れる。
| 言葉 | 自分はこう考えている |
|---|---|
| 直感 | 「こっちがいい」「これは違う」と、一瞬で出てくる答え |
| センス | その答えを生み出している、もっと広いもの。「何をつくるか」「何を選ぶか」に現れる |
| 技術 | 「どうやってつくるか」を可能にするもの。面白がっていると、あとからついてくる |
だから、技術だけを磨けばセンスも良くなる、という話ではないと思っている。
違う土俵をつくる方が面白い
これは会社をやっていても同じだった。
Sunset films は、映像から始まった。でも映像だけをやっていたら、今の会社にはなっていなかったと思う。
デザイン、Web、光、音、空間、テクノロジー。そして今は AI もある。
「これとこれを組み合わせたら、何か面白いことができるんじゃないか」。そんなことをやっていたら、自然と領域が広がっていった。
これから、カメラも編集も AI も、技術はさらに民主化されていく。
だから、同じ土俵の中で誰が一番上手いかを競うことより、そもそも違う土俵をつくることの方が面白い。
違うものに触れるほど、自分の中に材料が増える。組み合わせ方も増えていく。
それも、センスを磨くことだと思う。
3、4歳で見た、瀬波温泉の夕陽
そう考えると、自分が子どもにいろいろな景色を見せたいと思う理由も、ここにつながっている。

自分にも、今でもはっきり覚えている景色がある。
3、4歳の頃、祖父母に連れられて行った新潟県の瀬波温泉。そこで見たオレンジ色の夕陽を、なぜか今でも覚えている。
ずっと後になって、自分がやっていたバンドに、直感的に「Sunset」と名付けた。今の「Sunset films」という社名も、そこから続いている。
もちろん、すべてがあの夕陽だけで決まったわけではない。
でも振り返ってみれば、3、4歳のときに見た景色が、何十年も後に会社の名前につながっている。

経験って、その瞬間に意味がなくてもいいんだと思う。何につながるかなんて、そのときには分からない。
だから子どもにも、できるだけいろいろなものに触れてほしい。
何の役に立つかは分からない。
でも、忘れていることと、自分の中からなくなることは、たぶん違う。
新幹線の窓の外
今日、熱海から東京へ向かう新幹線の中で、これを書いている。
窓の外には、いろんな景色が流れていく。そのほとんどを、明日には覚えていないと思う。
でも、覚えていないだけで、何かは自分の中に残っているのかもしれない。
いつか何かを見た瞬間に、「こっちがいい」と直感で選ぶ。
その一瞬の裏には、今まで見てきた景色、出会った人、感動したこと、失敗したこと、夢中になったこと。その人が生きてきた時間がある。
だから今の自分にとって、センスとは、生まれ持った特別な才能というより、見て、感じて、考えて、面白がって、つなげて、表現する、その積み重ねだ。
それが、その人にしかない「センス」になっていく。
そして直感は、そのセンスが一瞬で出した答え。
今のところ、自分はそんなふうに考えている。